複複式学級?
小学校まで行くには山を越えて行くか川を渡っていくしかなくて、山道は昼でも暗くて動物や鳥の声が聞こえて、たまに道端に蛇がいたり。
小さい川だったけど、渡し船みたいので、川から帰る時は向こう岸から「お〜い」って叫ぶと家の人が迎えに来てくれる。
冬は吹雪の時は何人かでかたまって雪をこいで行く。
村の人口は少ないから小学校と中学校が一緒だった。
クラスは複複式で、1、2、3年と4、5、6年とか、2、5、6年と1、3、4年とか、とにかく3学年が一緒に授業を受けていた。
私の学年は私の他は男子が二人で合計3人だった。
45分の授業を3学年でやるんだから単純に考えても15分しかない。
しかも美術専門の教師の時は美術しか授業をしなくてあとはすべて「自習」だった。
生徒どおしで教えあったり、グループで教科書読んだり。
まぁもちろん中にはちゃんと授業をしてくれた教師もいて、その中の一人は国語の女の先生でよく詩を書いたりした。
その時に私が書いた詩を地方の新聞社に送ってくれてそれが載ったりした。
私は初めからなぜか勉強は好きだった。
どの教師だったか「毎日2時間は勉強しろ」なんて言うのを聞いて、まじめに家でも勉強した。電気もままならなくてランプやろうそくの下でもした。(この記憶はあってるのかな?)
明治生まれの祖父は
「おまえたちには親も金も何もないし与えてもやれないが、教育だけは平等だから勉強しろ」
みたいなことを小さい時から言われていて、その言葉通り大学まで行かせてもらった。
それは本当に感謝している。「女に教育は必要ない」なんて言う親もいた時代に。
小さな学校だったけど小さな図書室はあって、私はそこに入り浸って日本文学全集やら世界文学全集やら手あたり次第に読んだ。本の中にいる時は幸せだった。
祖母は「本なんか読んでないで手伝いをしろ」というところもあったから、隠れて暗いところでも本を読み続けていたらテキメンに目が悪くなって小学校高学年からメガネが必要になった。
ともかくそのころから活字中毒。とにかく文字を読んでいたかった。